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パンに醤油をかけて食べた時代

高卒で就職して365日で辞め、20才の頃は親に甘えてデザイン専門学校に通っていた。
気の合う仲間が5~6人いた。現役もいたし1年遅れもいた。皆、同じように仕送りでひと月暮らすのが精一杯の生活をしていた。
実家から通う者もいたが、そういう人も交通費に金がかかっていて、なんとか昼食代を安く済まそうと必死であったが食べ盛りでいつも腹を空かせていた。

自分のアパートは学校から5分ぐらいのところにあった。いつのまにか、昼には自分のアパートに仲間が集まるようになっていた。
昼食はというと、金のある者が金を出し、インスタントラーメンを2個、多い時で3個買った。もちろん具など入れない。それを煮ている間、5~6人がお椀と箸を持って待っている。
その車座の真ん中に、その鍋を置くと、鳥が餌を啄ばむように一斉に箸を入れて食べ始めるのであった。もちろん、自分も遅れて参加した。

普段、自分の米は実家が送ってくれていたが、それが無くなった時は悲惨であった。
食パンを買い、醤油をかけて食べていた。タマゴがあれば醤油に溶いた卵に浸して食べ、マヨネーズがあればそれをつけた。マヨネーズになるとレベルとしてはハイクラス?の部類であった。

よく学生のアルバイトの話を聞くが、デザイン系の専門学校で高校並みの時間割があり、ほとんど毎日課題を持ち帰ることになっていた。これはデザインのアイデアをまず決めて、それを着色するという作業になり、1色1色を水性カラーで着色するので1色が乾くまで次の色が塗れない、まことに時間のかかるものだった。従って、アルバイトしながら課題をこなすほどの人間はまず、いなかったと記憶している。

そんな暮らしの中、一人が「俺は、いざとなれば1000円より100円のほうが使いでがある。」と言い出したことがあった。皆がそれに同調したのを覚えている。
散り散りになった仲間はどうしているだろうか、あの頃、それがあたりまえのようで、貧乏でも楽しかった。
100円あれば生き延びることが出来ると真顔で熱く語った仲間。どんだけ貧しかったんだと時々、懐かしく思い出している。

パンに醤油をかけて食べた時代_a0265823_154327.jpg

ネット上から無断で拝借した画像。今でも、あの時代のように貧しい食事をしている人がいるのだろうかと検索すると出てきた画像。当時は袋から出したパンにいきなりマヨネーズを塗って食べていたが、オーブンがあればパンにマヨネーズもこんなにおいしそうに出来るんだな〜と、今更ながら思いました。

ビリー・バンバン さよならをするために
ビリー・バンバンは、日本の音楽グループ。菅原孝、進の兄弟二人によるフォークデュオ。
1972年、テレビドラマ『三丁目4番地』(日本テレビ)の主題歌である「さよならをするために」が約80万枚[2][4]の大ヒット、その年の『第23回NHK紅白歌合戦』にも出場。当時のフォークシンガーは、自分の手で作詞、作曲をし、それを歌う物という風潮が強く、石坂浩二作詞、坂田晃一作曲の曲に対して進は躊躇しレコーディングを当日にすっぽかしたという逸話が残っている(後に進は本当はいい曲だったと語っている)この頃から、お互いの考え方に違いが生じ始め、1976年に解散、孝は司会者として、進は歌手として、作曲家として己の道を行くこととなる。
進がソロで「琥珀色の日々」をヒットさせるなど、2人はそれぞれの道を歩んでいたが、ビリーバンバンの復活を求めるファンの声は根強く、1984年に再結成、以降は、個人での活動と平行しビリーバンバンとして活動を行う。



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by ksway | 2013-03-04 16:01 | 若き日々の記憶