銀行に褒められたという話
会社の事業を譲渡してリタイアしようと決意した57才になったばかりの春。
世話になった銀行に説明に行った。リタイアの際に、社屋の個人ローンを一括返済する必要があった。
世話になつたと言っても、それ以外、事業用資金を借り入れるようなことはなかった。小さな会社なのに借り入れしなければ回転しないようでは話にならないというのが基本的な姿勢であった。
決断に至る経緯を説明すると、銀行の担当者が聞いてくる。
「やめて何するんですか」と。
「魚釣り」と、そう答えた。
担当者は、「自分にもちょっとした趣味があるので、出来るなら早くリタイアしたいと思っているんです、羨ましいですよ。」と言ってくれた。
釣りは趣味だったけれども行く機会がなく、買いそろえた釣り具だけは充実していて、ピカピカのままで出番を待っていた。
担当者が続ける。「そういう辞め方が一番いいんですよね。皆、借金を重ねながら、いつかまた良くなると考えて経営を続けているので辞めたくとも辞められないでズルズルと借金が膨らみ、最後は家や土地まで手放すことになるんですよね。良かった頃のことを忘れられないんですよね。
☆☆さんのように割り切って決断する人っていないんですよ。珍しいですよ。理想的で良い形だと思います。」と・・・・・多分?褒められた・・・。
得意先の大卒の若い発注担当者に、明日までに納品せよと言われれば「はい、いつもありがとうございます。」と喜んでみせて徹夜し、金曜に発注を受けたものを月曜の朝に納品せよと言われれば「はい、いつもありがとうございます。」と満面の笑みで答えて土日も休まず働いて来た日々から解放されるのだと思っていた。
1日16時間働く日々の20年の、現役であることへの未練とストレスのない世界に生きられる開放感と、複雑な思いを抱きながら、57歳の6月、ダンボール箱ひとつに私物を詰め込んで運び出し、残りのすべてを譲渡して、社屋を去りました。
旅立ち/松山千春
北海道夕張郡栗山町出身の父・松山明と地元出身の母・美代子の次男(第三子)として足寄に生まれる。姉・弟の三人兄弟。長兄は乳児期に肺炎で早世している。生後間もなく股関節脱臼と診断され、札幌の北海道大学附属病院に半年間入院。この時に父・明は入院費捻出のため多額の借金を背負うことになり、その後の返済が家計を圧迫。このことが幼少期の人格形成に大きく影響を及ぼしている。その後、足寄西小学校を経て足寄中学校に入学。
フォークソングとの出会いは小学校5年生。幼なじみの紹介で知った岡林信康が、足寄で弾き語りのコンサートを開き、聴きに行った松山に強烈なメッセージを残したことに始まる
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by ksway | 2013-03-07 11:40 | 仕事のこと