必要なお金を確保したなら、静かに暮らせばいい
普通(質素)の暮らしを続けながら、最後まで生きて行くのに必要な金額は調べればわかる。そのお金が稼げたなら、静かに暮らせば良い。
金のかかる趣味や、別荘を持ちたいとか、高級車に乗りたいとか、クルーザーを持ちたいとか・・・そういう贅沢を手に入れなければ満足できないタイプなら仕方ないが、事業などやっていれば、いつ赤字になったり、破綻するかわからない。成功者よりも、倒産して借金を踏み倒し、消えて行く経営者のほうが圧倒的に多い。
ギャンブルと全く同じ。ほどほどに勝ったと思えば、欲を出さず、逃げるのが賢い生き方と思う。
一度、倒産しかけたことがあった。毎月数百万の金が消えて、40代なのに蓄えがゼロで借金を抱えるという恐ろしい経験もしている。死ねば楽になると考えたが、その勇気がなくて生き残った。会社経営に行き詰まって自死した人の、その度胸、勇気?を羨ましくさえ思った。
リタイア決断の前に、奥さんが帳簿の売り上げの減少を見て、先のことを考えると、この辺で撤退するのも選択肢だねと言ってくれた。
倒産しかけてからそれまでに、いくら蓄えができていたのか全く知らなかったが、あとのことは心配するな、任せておけと奥さんの言葉は心強いものだった。無借金経営だったから譲渡してリタイアすることに何の障害もなかった。
若い社員を譲渡先に横滑り雇用してもらえば、他は大した問題はない。
仕事自体、ごく限られた範囲の人たちには役に立っていたかもしれないが、広く、社会貢献という視点で見れば、あってもなくとも良い事業であり、会社と思っていた。
今でも、現役時の癖でネット上に公開されている倒産情報をチェックしてみる。
様々な会社の破綻を見るたびに、なぜ、自分のようにホドホドのところで満足してリタイアしなかったのだろうかと思う・・・・・人間の見栄や欲望には果てしないものがある。
上ばかり見てギャンブルに生きるのも、事業に執着するのも良いけれども、年老いたときに「事業に失敗してお金はありません」では身も蓋もない。
井上陽水 限りない欲望
家業を継いで歯科医になることを期待されていたため、1967年、九州歯科大学を受験するも失敗し、予備校に通い始める。この年は小倉育英館に通ったが、翌年には九州英数学舘に変える。二浪目の1969年「帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)を深夜放送で聞き、自らも高校時代に歌を録音する際に同じような早回しテクニックで遊んでいた経験から、「これなら自分にもできる」「音楽でひとやま当てたい」と思ったのが曲を作り始めたきっかけ。ギターを見よう見まねで始める。1968年、再度の受験にも失敗する。1969年、3度目の受験に失敗し、大学進学を諦めて歌手を志す。
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by ksway | 2013-03-09 20:17 | 世の中のこと