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浜田省吾

娘達が年頃になって言われたこと。「子供の頃は、うちの車はMoney(浜田省吾)しか流れないように作られた車だと思っていた。同じ曲ばかり繰り返して、なんか変だと思っていた、あきれたわ。」と。

薄給のサラリーマン生活よりはましだろうと独立したあとは、楽ではない生活を何とかしなければともがいていた。せめて、子供達には貧しいということを知られまいとして奥さんと苦労した思い出がいっぱいある。友達の家にあるものと、自分の家にあるものを比べられるのがつらかった。
娘達が言ったように車の中では、その「Money」をリピートさせたまま、何年も何年も聞いていた。

金がなければどうにもならないのだと、耳元で叫ばれているような、そんな毎日だったのを覚えている。前にも書いているが、1日も早く家計というコップの水を溢れさせて、家族に人並みの衣食住が満たされる生活をさせてやらねばならなかった。悔しさをエネルギーに換える役目を、その歌は果たしてくれていた。

初めてのコンサートはその頃、CBSソニー(現ソニーミュージック)の販促物の制作を独占的に受注していたので関係者に頼み込んでチケットを入手した(本来は入手困難でしたが時効なので)。
浜田省吾さんは今もソニーミュージックの所属と思うけれども。

時はバブルの時代。「Money」の中で、彼は「純白のメルセデス、プール付きのマンション」と歌う。
どちらも自分には不似合いだったが、そういうこともやろうと思えば出来るようでなければとは思っていた。

事業もそれなりに安定していたし、家庭の経済も人並みのものに追いついていた。コンサート会場では、やっと自分もこんなところに来ることが出来るようになったのだと思うと心から嬉しかった。それまでの辛さが襲って来て泣けた。半分は涙で滲んでいるコンサートだった。
はじめて「Money」を聞いてから十数年が経っていた。

単純な頭で良かったと思う。歌に触発されて、やみくもに頑張るような単細胞でなければ、貧しさに負けて、いつまでたっても奥さんが買い物のたびに安いものを買い漁るような可哀想な姿を見ながら、くやしいままで時間をムダにして老いていたかもしれない。

自分が若い頃、勢いで口走った言葉だったが、いつか幸せにしてあげると言った約束を忘れたことはなかった。


浜田省吾 MONEY

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画像のエレキギターはヤマハ製。多感な頃、高価で手がでなかった。その、悔しさからネット上で探して、ろくに弾けないのに買ったもの。

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自分がデザインも制作も担当した販促物。これは若い人には任せず、自分で仕上げた。




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by ksway | 2013-03-12 12:17 | 若き日々の記憶