それは自分が専門学校に通っている時に、田舎の母が送ってくれた青い丹前でした。
結婚して子どもが生まれてからも使っていた、そのほころび、穴が開いた丹前を奥さんは、いつまでそのボロい丹前を着るつもりと聞いて来るぐらいボロボロになっていたが手放せなかったのを覚えている。
貧しい農家で兄弟(姉兄姉妹妹)が多く、母親の愛情に飢えていたのかもしれない。母が自分だけの為に何かしてくれるという経験があまりに少なかったから、その青い丹前は自分にとって特別なもの、大切なものだった。
農家では、長男が家を継ぐものというのが普通の考え方だ。次男の自分はいずれ家を出て行く人間として扱われていたと思う。
家を出てから20年ほどで小さな会社を立ち上げ、それなりに家庭の経済も安定しており、両親にずいぶんお金を送った記憶がある。父が亡くなった後は母にお金は渡していた。
それは今にして思えば、成長過程で母親の愛情が不足していた自分に、母の関心を引きたい、褒められたいという意識が働いていたことは否定出来ない。
母が亡くなったとき、父の時のように泣き暮らすことはなかった。それが今も不思議に思えてならない。
お金の件は今更、どんなに母に尽くしたところで、母が喜んでくれたところで幼い頃に満たされなかった心の空白が満たされる訳ではないと知った上での行為だった。
母の愛情を得る事・・・それはもう、あまりにも遅過ぎた。母が晩年を不自由無く暮らしていた事を思えば、産んで育ててくれた恩に少しは報いる事が出来たのではないかと自分を慰めるしかない。
母が気兼ねして、入浴に不自由していると知り、母専用のバスユニットを据え付けてあげて、転ばないように浴槽用の手すりを取り付けてあげたのも自分であった。いつでも風呂に入れると喜んでくれたのを今も忘れない。
風のオルゴール/きくち寛
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# by ksway | 2012-04-27 21:00 | 親のこと